「日の出まで2時間か…寒くないのがせめてもの救いだな」
その時、携帯の着信音が上着の胸ポケットから薄暗い商店街に鳴り響いて、すぐに切れた。
「そろそろ来るよ。Iさんは赤い旗を持って向こう岸に行って、対向車が来たら停めてください。トレーラーはバックで入れるからKさんはここにいて誘導してください。」
さっきの着信音はどこかこの近くで待機していたNさんこっちに向かって動き出した合図だ。…で僕は写真を撮らなきゃ。
薄暗い道路にひと目で大型車とわかるヘッドライトが見えた。後ろに座っているはずのバックホウの姿は確認できない。車が近づき、運転席にNさんが見えた。Nさんに緊張している様子はない。大型特殊免許いわゆる「だいとく」持ちのNさんは協力会社の重機運搬のプロだ。自社で運べないような大型の重機はいつもNさんの会社に頼んでいる。Nさんは隣の市まで走ることもあれば、夜間工事の運搬もあるらしい。
「前日の夕積みとはいえ今朝も4時には出発しているはず…いったいいつ寝ているのだろう…。」
(バックで進入して…)
僕はNさんに見えるように、自分のおしりをたたいた。トレーラーは大きく舵を切っておしりを入り口に向け、くねくねと身をよじるように後進して現場に収まった。まるでそこが元々自分の巣であるかのようなスムーズな動きだった。
「おはようさん。監督さんは早起きだねー。」
そう言いながらNさんは降りてくるなり、荷台の下にでかい空き缶のような器具を2個敷いた。それから腰くらいの高さの鉄製キャタピラに片足をかけながら黄色いドア開け、よじ登るようにキャビンに入りこみ、運転席に収まった。
「おはようございます。そんなことないっすよ。Nさんのほうがずっと…。」
僕の返事をかき消すように0.9バックホウは低いうなり声をあげて始動した。僕はあわててカメラを構えた。
(黒板用意してないけど、間に合わないしな…)
夜明け時の商店街にガリガリとキャタピラの音が響き、「重機搬入状況」の写真は撮れた。3段折れブームを旋回させながら、少し色あせた黄色い機体を解体予定のビルの前まで進めるとNさんはこちらを見た。この時間にこれ以上の騒音を出すのはトラブルの元になる。
「そこでいいですよ。」
僕は両手で頭の上に“〇”を作った。
こんなプロの仕事を淡々とこなすNさんに、一度だけ迷惑をかけてしまったことがある。荷台に載せたバックホウのキャビンで出入口の電線を切ってしまったのだ。その電線は前日の夜に設置された商店街のお祭り用の電線だった。
お祭りの担当者が道路には「建築限界」という高さの基準があることを知らなかったこと、新しい電線が張られていることに現場の誰も気が付かなかったことが原因の一つだ。そして何よりその電線切断が重機搬出の時に起きてしまったということ。ひと月ほど前の搬入の時、何の問題もなく出入りしたのに、出ていこうとするトレーラーの荷台からはじけるように黒いひものようなものが落ちてきた。僕は最初それが何か全くわからなかった。当時の僕は全くプロじゃなかった。
「このビル、まだそんなに古く見えないね。」
Nさんはキーを渡しながらそう言うとトレーラーに乗り込んだ。
「まだ薄暗いから、そう見えるんじゃないですか。…で右に帰ります?左に行きます?」
僕らが赤い旗を振って両方の車線を止めると、Nさんのトレーラーは左に出て行った。次の仕事があるのだろう。
(いつ寝てるのか、また聞きそびれたな)
止まってもらった数台の車に丁寧に頭を下げながら僕はそんなことを考えていた。