土木作業員の日常~小塚敏美 70歳左官~

  • LINE

前の記事   次の記事


名前
小塚敏美 白髪のほうが多い短髪の70
性別男性
身長
152
体重
50kg
職業
左官

敏美さんは70歳の左官さんだ。使う道具には「ト」の字が彫り込んである。

今回は、日本経済の流れの中で、その浮き沈みの激しさをそのまま生きてきた一人の左官さんと、同じ土木会社で働く僕との日常を取り上げる。


敏美さんがいる現場は 砕石や土砂が見苦しく散らばっていることがない。小さな身体だが、じっとしていることの嫌いな敏美さんは左官仕事がない時は、かき板やほうきを手にして、何かしら作業をしている。 


敏美さんの出勤はとにかく早い。5時過ぎにタイムカードを押すと、スーパーカブの荷台にくくりつけてある洗濯カゴから水筒や長靴を取り出して、今日の職長の車の後部座席に入れるのが、毎朝のルーティーン。当然、まだ誰も出社していないので、天気の良い日は会社の周りを散歩するのが、最近のマイブームだ。


職長目線でいうと、敏美さんは本当に助かる昔気質の職人である。

左官以外の仕事も嫌がらずにやってくれるし、手が空けば箒をもって散らばった砕石を片付けてくれる。ちょっと時間が空くたびにスマホを取り出す若手は、気が付かないのか、気にしないのか。大阪で左官の丁稚(見習い)だったころの敏美さんも最初は気が利かない若者だったのだろうか。

地方の農家の3男だった敏美さんは「体が小さくても、永く続けられるから」という理由で、関西の左官の棟梁に預けられたらしい。実際、70歳の今でも、針金でこしらえた二重のわっかを、器用に曲げて20㎏の地先境界ブロックを「よいしょ」と持ち上げ、慎重に据え付けていく。

聞いたところによると、関西で左官としての腕を磨き、所帯も持った。しかし、不況で建築の仕事が減り、日当も以前の半分くらいになった時、先に都会に見切りをつけ故郷で土木会社に入っていた兄の勧めもあり兄と同じ会社で働くことになったそうだ。

 

僕が働く会社に左官として入社したのは、敏美さんとお兄さんだけ。土木会社なので左官仕事が毎日あるわけではない。終日、スコップを持つ日もある。つるつるとした金ゴテ仕上げが必要な仕事は少ない。捨てコンクリート、張りコンクリートといった仕事はあるが、木ゴテ仕上げやほうき目仕上げは、本職でなくてもできる作業員は多い。

敏美さんは、原付の免許を故郷に帰ってきてから通勤のために取った。

原付バイクを斜めに座って運転している人を見かけると「あー腰が少し横に曲がってるなー。若いころ頑張って仕事して痛めたのかな。僕も腰痛持ちだから、後ろから見ると曲がってるのかもな…」とか考えてしまう。

その点、敏美さんの運転姿勢は「通りが通っている」黒いフルフェイスのヘルメットからスーパーカブの細いタイヤまでまっすぐだ。お手本みたいな姿勢で運転している。

そんな敏美さんと職長の僕は、一時期あまりうまくやれなかった。

 

「…でさ、結局あとで社長から大目玉くらってるんだよね。」

「まあ、気づいたときに報告するべきだったんだろうね。」

「いつものことだよ。」

そんな話を僕が同僚と話していると、背中を向けて聞いていないように見えていた敏美さんが急に身を乗り出してきた。

「何があったよ?…この前のTの話やろ。」

敏美さんは、噂好きというより、拡声器だ。見てもいない話に尾ひれをつけて、まるで本当のことのようにまた誰かに吹き込む悪い癖がある。

「教えんよ…敏美さんには。爪楊枝を丸太にしちゃうからね。」

僕がそう言い終わらないうちに、敏美さんはぷいとまた背中を向けてしまった。

あとから聞いた話によると、

「おれはあいつの現場には行かん。おさ(年長者)に向かって生意気なことばかり言う。」

と僕に対して大変ご立腹だったらしい。まあ僕は、それも大げさな話の一つだろうと、全く態度を変えずに、その後も彼に接していたら、いつしかまた元通りの感じに戻ったのだが。

 

関西で敏美さんは、いろいろな技術を身につけた。昔、打設間もないインバートコンクリートに近接するアパートから排水が流れてきたことがある。

「あー、もう終わりだ。どうしようもない。」と嘆く僕に

「さっき読んでたスポーツ新聞を持ってこい!急げ!」と敏美さんが怒鳴った。

予期せぬ排水だったため完璧に守り切ることはできなかったが、打設面の上にぴったりくっつくように広げた新聞紙の上を水が流れることで、最悪の事態は防げた。

関西で左官として腕が上がった敏美さんだが、個人事業主の下で働いていたため、まともに社会保険を払い込んでいない。そういえば、誰かが敏美さんと同居している40歳くらいの息子はあまり働かないのだと話していた。関西ではきっと良い時代もあっただろうに、敏美さんはほとんど昔話や家族の話をしない。敏美さんが噂好きなのは、それが自分の話じゃないからなのかもしれない。

僕は実は敏美さんの本当の名字を知らない。お兄さんは「小塚」と書いて「おづか」と読むのだと言っていたが、敏美さんは自分のことを「こづかとしみ」だと言う。戸籍を見せてくれと言うかわりに、僕はお兄さんを「おづかさん」彼を「としみさん」と呼んでいる。僕はそれでよいと思っている。

 

「明日も同じやろ…」そう言って、後部座席に道具を残し、水筒と空の弁当箱を洗濯カゴに放り込むと、「としみさん」は今日も「通りの通った」姿勢で帰っていった。

この記事を読んでいるあなたへ

※本文内にある一部のキーワードをクリックすると、該当する製品・技術情報にアクセスできます。


この記事のライター
鹿児島県生まれ。大学では地域研究を専攻。
塾講師・海運業(離島航路)を経て、地元の土木会社に勤務。公共工事、民間工事の主任技術者、職長として現場で汗を流しながら、事務所では見積り、積算もやっております。
『サガシバ』に会員登録して、匠の野帳をもっと便利に!
会員登録すると、最新記事の情報が受け取れる他、便利な使い方がたくさん!

ローリングMさんの匠の野帳をもっと見る

2022年08月03日 00:20 ローリングMさん
1 0
「真ん中で折れとるぞ。」「…えっ?どこで?」現場に着くなり、左官さんがそんなことを言い出すので、僕は慌てた。この工事は、元々積んであった2段積みのブロックをかさ上げすることで、駐車場の外回りの高さをかせ...
1 0
2021年07月14日 01:32 ローリングMさん
3 3
前回「【失敗から学ぶ】バイブロハンマーで石造りの水路を破壊!閉塞感漂う工事現場でのあってはならない失敗談~その1~」で、道路改良工事における失敗談をご紹介しました。今回はその失敗の原因と対策についてお...
3 3
2021年07月07日 01:34 ローリングMさん
3 3
今回ご紹介するのは、道路改良工事での失敗談です。朝夕の交通量の多い既設道路の拡幅計画に伴い、古くなった水路の代わりにプレキャストボックスを据え付けるという工事で、道路の線形・高さを変えていく準備ともい...
3 3
2021年05月19日 02:06 ローリングMさん
10 7
転職組だった私はいくつかの工事現場で作業員を経験しながら、施工管理技士の資格を取得し初めて現場を持つことになりました。今回、ご紹介するのは初めて担当した現場で経常利益どころか、最終的に100万円以上の赤...
10 7
2021年03月10日 04:42 ローリングMさん
10 6
現場には乗り合わせで行く。特に建設現場は駐車スペースが限られていたり、まったく無かったりするからだ。「今日は、Y君とTさんは僕のダブルピックに乗ってください。」「乗れるの?」Y君が笑いながらこっちを向い...
10 6
2021年01月06日 02:28 ローリングMさん
11 8
「日の出まで2時間か…寒くないのがせめてもの救いだな」その時、携帯の着信音が上着の胸ポケットから薄暗い商店街に鳴り響いて、すぐに切れた。「そろそろ来るよ。Iさんは赤い旗を持って向こう岸に行って、対向車が...
11 8
2020年11月25日 00:44 ローリングMさん
13 7
天気が何とか持ちそうなので、今日の作業は工程表通り「プレキャスト側溝の据付」ということになった。道路改修工事は、昨日据え終わったばかりの新しい側溝の終点から、今日の予定地点までの既設の古い側溝を撤去す...
13 7
2020年10月14日 08:20 ローリングMさん
8 4
『整地』土木関係の人ならよく耳にする言葉である。広さにもよるがすべてを同じ高さにすることはあまりなく、水勾配を考慮しながら平らな面を重機のみ、人力のみ、もしくは協力し合って作りあげる。丁張杭や鉄筋棒に...
8 4
2020年09月02日 09:03 ローリングMさん
13 11
朝礼は7時15分からと決まっていた。会社の朝礼がある日はゆっくりと出社できる。これが普通の日だと7時前に必ず誰かから電話がくる。「起きましたか?」「今どこ?」昭和30年位に生まれた世代はとにかく朝が早い。と...
13 11
会員登録(無料)