黒部ダム、明石海峡大橋、関門海峡トンネルなどに代表される構造物は、巨大スケールの追求こそがビジネスにおける成功だった時代、そしてインプットが少なかった時代に造られました。そのため、誰も経験したことがない構造物にチャレンジして、情報が足りなければ実験と研究でインプットを増やすことが技術者に求められていました。難解な設計や苦労話が技術者の醍醐味だったのかもしれません。当時の技術者を否定しているのではなく、今とは時代背景も情報量も違いすぎるのです。
今の時代に、同じ構造物を建設することを考えると、アウトプットとなる設計と図面は変わらないとしても、インプットとなる設計のコンセプト・条件・課題・検討などは、与えられる時間も求められるスキルもかなり違うのではないでしょうか。
高度な情報化社会を迎えた時代に、斬新すぎる構造物は求められていません。本質的に重要なインプットだけに捨象することが技術者に求められているのではないでしょうか。
一般的な大量生産型のプロダクトデザインは、何度も何度も試作と量産をフィードバックして効率化が図られます。一方で、土木や建築は、すべてがオーダーメイドであり、一品生産だからこそ、「やりがい」があるという言葉が未だに散見されます。もちろん、地図に残る受注生産の構造物であることに間違いはありませんが、今は、土木構造物の設計も図面もマニュアルで標準化されていて、一流の設計技術者にとって構造物の設計は、本来は難しくないはずです。
では、なぜ土木構造物が難しいのでしょうか。
土木設計の基準は、全てのオーダーメイドに対応を想定しているため、その解釈が難しいところもありますが、本質的な難しさは、人類の文明とともに発達した自然科学の難しさにあると思います。自然科学とは、ある仮定に基づく自然現象を数式化したものです。その仮定を設計条件として適切に設定できるか否かが、肝ではないでしょうか。自然科学との対話こそ、土木構造物の難しさであり、面白さでもあるのです。では詳しく土木と自然科学の関係性について考えていきましょう。
自然科学といえば、ニュートン、アインシュタイン、ダーウィンなど世界を一変させた科学者が有名です。構造力学を熟知した技術者であれば、構造理論を発案したダビンチ・オイラー・ベルヌーイなどを身近に感じていると思いますが、構造理論の再考では土木工学だけの議論になりがちです。
もっと身近な自然科学と土木工学の対比こそ、分かりやすく設計の本質を考えることができるのではないでしょうか。身近で子供の教育にも多用される自然科学といえば、調理科学です。調理科学には発酵や熟成などの高度な技術もありますが、実はもっと簡単な技術も科学なのです。
例えば、美味しいイタリアンで楽しみのパスタを例に自然科学について考えてみましょう。アーリオオーリオなどの調理方法は、パスタを茹でて、にんにくとオリーブオイルで味付けするだけのシンプルな料理です。なのに、プロの味は驚くほど違いますよね。家庭で、ディチェコやバリラなどを美味しいパスタを買ってきても、全く違います。それはなぜか。鍋の大きさが違うだけでなく、素人は、塩味で茹でる時間を考えているだけなのに対して、プロは、パスタのグルテンとナトリウムイオンを結合させたバリアでコシのある食感を科学したアルデンテを追求しています。そのため、プロは辛すぎる食塩で茹でたパスタを後で洗っているのです。ちなみに、一般的な家庭で入れる塩の量くらいでは、意味がないそうです。
一見、茹でるだけの簡単な作業にも自然科学があるのは、土木の掘削作業にも通じるものがあります。掘るだけなのですが、掘る前に地層を科学することで、安全で確実な掘削が実現します。どれだけ大きな鍋をつかっても、最新の重機を使っても、科学を知らないシェフや技術者にミシュランも発注者も☆を与えません。
また、土木構造物の設計条件は、山・川・街と変わるだけでなく、構造形式や地盤や施工制約なども著しく異なります。自然環境に合わせてどんな重機と工法で設計するかは、毎日、市場で仕入れる新鮮な食材を吟味して、美味しいメニューを創作する一流シェフと同じではないでしょうか。土木も料理も自然科学を応用した技術とサービスなのです。
さて、みなさんは料理人の「山本征治氏」をご存じでしょうか。フランスの食専門誌「LE CHEF」が世界各国のミシュラン三ツ星に選定されたシェフの投票で決定する「世界のシェフ100人」において、常に上位にランクインしている日本料理の革命児で、伝統的な日本料理を進化させる独創的なレシピは、唯一無二の存在です。口を全開にして焼く鮎の塩焼き、鱧のレントゲン写真で考案した骨切り、一番だしの前に抽出できるゼロ番だしへの拘りなど、まさに科学実験なのです。
一流のシェフも技術者も、茹でるだけ、焼くだけ、掘るだけ、支えるだけを追求する自然科学の研究者であるからこそ、先人の技術を進化できるのではないでしょうか。
次回は「一流の技術力を養成するには」という内容をお伝えしていきたいと思います。