ある若い鉄筋工の独白だ。
ボクらのつくったものは、いくらきれいに組み立ててもコンクリートで見えなくなる。
できあがった構造物を見て、ボクらの仕事は値打ちがないなあと思うときがある。
もちろんわたしはそれを言下に否定する。
ふつうの暮らしを下ざさえするのが「土木の仕事」。
それをさらに下から支える重要な役目がアナタたちの仕事。
素敵な仕事やんか。
逆に、そういう仕事の尊さを認めない人や世の中にこそ価値がないとオレは思うよ。
そう言いつつ、少しばかり反省した。往々にして、出来栄えとかいった類のものに目が奪われている自分を。「達成感」だなんだとエラそうなことを言いながら、ときとして、出来上がったモノの上っ面にしか意識が向いてない自分を。「だけどオレたちいなくなりゃ、ビルも道路もできゃしねえ、誰もわかっちゃくれねえか」と呑んでクダをまきつつ、そして、「ふつうの暮らしを下ざさえするのが土木の仕事だ」と声高に言いつつも、そこにも「支え支えられ」があって、はじめて「土木構造物」という「モノ(場所)」ができあがることを、ついつい失念している自分を。
ふつうの暮らしを下ざさえするのが「土木の仕事」。
それをさらに下から支える重要な役目がアナタたちの仕事。
素敵な仕事やんか。
逆に、そういう仕事の尊さを認めない人や世の中にこそ価値がないとオレは思うよ。
「その言葉、そっくりアンタに返すわ」
別のわたしが、頭上斜め60°方面からそう言い放つのを仰ぎ見て、「ありがとね」と最敬礼。
いやいや、深々とアタマを下げるべき対象は、くだんの鉄筋工くんだ。
「ありがとね」
もういちどアタマを下げた。