構造物の設計という行為は、例えば数学の計算で言えば、x+5=8という方程式の解を求めるように、一意的に決まるものではなく、x+y-z=10のようないくつかの未知数がある方程式の答えを、x+y<15といった制約条件があり、y-zが小さければ小さいほど良いといった尺度がつけられた中で、見いだすといった問題に似ている。(P.129)
この例え、とてもわかりやすい。『CIM入門(第10章構造物の設計とCIM)』に出てくる文章だ。
さらに進めて言えば「土木のしごと」そのものが、そのようなものであるとわたしは思う。公共土木となるとなおさらだ。答えとなるx,y,zの組み合わせはさまざまで、一意的な解などない。
にもかかわらず、ことを単純化して考えすぎるきらいが今どきの多くの土木屋にはあるように、わたしには感じられる。
ことさらに複雑化する必要はないけれど、いくつかの未知数がある方程式の答えを制約条件の中で見いだす、という行為を省略してはならない。そこに「土木というしごと」の醍醐味がある。
そして、いくつかの未知数がある方程式の答えを制約条件の中で見いだしたとしても、それが最適解であるかどうかは実際のところよくわからなかったりするところに、「土木というしごと」の楽しさも面白さも厳しさも辛さもがある。
そんななか、いつもいつでも変わらないのは、「答えは現場にある」ということだけ。
強引にそこへ持っていったわけでもないが、なんだかいつもそこへ行き着いてしまうんだよなあ~、結論は。