帰宅するなりため息をついたわたしに、
「なかなか思いどおりにはならんな」
と別のわたしが話しかけてきた。
「いやいや」
とかぶりをふって答えるわたし。
「思いどおりになることもあるし、思いどおりにならんこともある。悪いことばっかりじゃない」
「・・・・・・」
「けど、肝心なところで思いどおりにならん」
「ほら、思いどおりになってないということじゃないか」
「思いどおりの”思い”というのは自分が思うところの”思い”であって、とすると、そうそう思いどおりにならんのがあたり前や」
「じゃあ嘆くなよ」
「それでも・・・」
「なによ」
「ドカタっていうやつは、思いどおりにならない最たるもの(地球や自然)を、思いどおりにはならないことをわかったうえで思いどおりにしたがるもんよ」
「因果な商売やなあ」
「うん、因果な商売や」
「で、たいていは負けいくさとなる」
「うん、で、たまに勝つ」
「そりゃ局地戦ではね」
「人間なんぞちっぽけなもんや。それでじゅうぶん」
「うんうんそれでいい。がんばれよ」
という言葉を最後にして、モノローグともダイアローグともつかないいっときの会話が終わった。
「オマエもな」
あばら家の頭上斜め60度あたりに向かって声をかける辺境の土木屋。